R8熊本自身
- 耕治 大下
- 3 日前
- 読了時間: 2分
7/28午後、スマホにニュース速報が流れました。熊本で震度7。
10段階設定されている震度の最大規模です。
10年前にも大きな被害があった熊本で、また大きな地震がありました。
酷暑の中の救助活動、避難生活を思うと言葉に詰まります。
1995年1月17日、予備校生だった私は当年のセンター試験とその自己採点を終え、模試でも取ったことのない高得点に驚きながら、二次試験に向けての勉強を始めようとしていました。
それまで、京阪神地域は「地震が起こらない場所」と言われていたように思います。自身の記憶を遡っても、小学生時代の避難訓練はすべて火災想定であり、地震での避難を練習した記憶はありません。
そんな神戸を襲ったのが早朝の地震でした。
初めての経験に何もかも驚愕しましたが、ついさっきまであった日常が失われたことが、10代の私にとっては強烈な記憶となりました。
電気がない、水が来ない、ガスが使えない。
冬の寒さを凌ぐために物を燃やす。本当にそうやって夜を過ごしました。
飲み物を確保するために自販機へ向かい、普段当たり前に使っているその機械が電気で動いていることを改めて知りました。
戦争を体験したことはないけれど、街が破壊されたらこんな感じになるのか、ということを疑似体験しました。
明日は今日の続きではないかもしれない、という強い印象を持った出来事でした。
日本に住んでいる以上、自然災害に直面するリスクはどこに住んでいようが避けることができません。平時の思想ですべてを構築すると、非常時に身動きが取れなくなる、という事実から目を背けるべきではないと思います。
一晩グラウンドで火をくべながら過ごした夜、その学校の先生と話したことをまだ覚えています。
「私たちの仕事、教育はグラウンドに棒で字を、図を書けばどこででもどんな環境でも可能だということに気づいた気がする。落ち着いたら教室が使えなくても教育はできる。人が生きている限り、教育は死なないと思うんだよね」
そう言い切った先生の言葉をいま改めてかみしめています。


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